努力は報われるか
しばしば、議論が分かれるところです。議論になるのは、自分の望む結果が得られないなら努力したくない(=損したくない)という考えが根底にあるからだと思います。
私は、報われた状態の定義次第と考えます。もし、自分の努力が短期間で100%自分のメリットになるのが、「報われた」と定義するなら報われないことの方が多いでしょう。しかし、自分の努力の結果が発現する期間を、自分の生涯だけでなく例えば数世代後等の長期間、そして対象を自分以外の範囲にまで及ぶと考えると、間違いなく報われると思います。
今までなら、以上で終わっていたのですが、最近読んだ本(地平線を追いかけて満員電車を降りてみた/紀里谷和明)の中で、報われるかどうかより、報われるかどうかが気にならなくなる境地まで努力するという第3の選択肢が提示されおり、考えさせられました。
www.amazon.co.jpあとがきでも書かれている通り、作者の紀里谷氏は映画「ラストナイツ」に賭けた5年間が、報われるかどうかが気にならなくなるレベルの努力だったのでしょう。自身で興行成績が「惨敗」だったとはなかなか書けないと思いますし。
私も、これまでチャレンジしたことを振り返ると、そこまでの境地に達したのは、海外大学院受験のみです。結果は「惨敗」でしたが、清々しい気分になったのを覚えてます。仕事でも長期案件に関わり、終わったときは達成感もありましたが、結果がどうなろうが気にならないという境地にまでは達しませんでした。
うつの回復期に入ってからは、うつを根絶したいと強く思うようになりましたが、医者でもない自分がどこまで出来るかは未知数です。まずは、体験者ならではの観点からブログで一方的に情報発信していますが、カウンセリングにも挑戦したいと思います。
うつを根絶するにあたっては、それこそ根絶を目指して自分で出来ることを考えて、挑戦していくつもりです。